四季彩堂〜心の雑貨屋さん〜

アラサー元介護士であり美容師再出発奮闘中。ティーン彼氏との歳の差カップル日記。持病と闘いながら吐き出せない気持ちを綴ります。雑多なブログになります。

しばらくぶりです。お別れのおはなし

Shikiです。本日、節分!恵方巻きを食べて、豆まきをしました!!f:id:shikisaido:20210203025057j:image

前回の記事を書いた後に書こうとしていたお話があるのですが、そのお話を簡単にさせていただきます。

まず、結論から言いますと祖父の葬儀の為、福岡に帰省してきました。

 

二週間前に母からLINEで「今、じいちゃんがヤバイってなったら帰ってくる?」と。毎日のように痛みで救急車を呼んでいて、コロナ禍の為入院は出来ず強い鎮痛剤をもらい帰宅する日々だと知らされました。この時にまず記事を書くつもりでおりました。

 

何があってもいいように会社にも報告し、3連休で帰るか検討している時に急遽母から入院するとの連絡が入りました。たまたま休憩中だった為、病院での入院準備中にテレビ電話を繋ぐことができました!!

 

そこには痩せてしまった祖父が画面の私を突いていました!きっと入院したらまた元気な姿がみれるだろうと願い、「父ちゃん母ちゃんに世話になっとるぞ」と涙する祖母にも手を振り、ぐっと涙を堪えて逆光を利用して泣きそうな顔を必死に誤魔化して笑顔でテレビ通話を切りました。堪えていた涙が溢れてきて、落ち着いた頃仕事に戻りました。

 

その夜、福岡で緊急事態宣言が出され、兄や親戚は病院での面会は出来なかったから通話出来たのは私だけだったそうです。

 

入院10日後、朝にLINEが入っていました。すぐに会社に連絡し、出社後に帰省を決めました。

彼はその前の晩、私の横で寝るのは何か違ったと言いリビングのソファーで寝たと言います。

祖父が大好きな富士山をみにきていたのでしょうか?

退社後に料金的なことを考えて、移動手段を夜行バスに決め、名古屋を経由して福岡まで向かいました。

 

地元の駅につき、母が両手を広げて「感動の再会」って言いながらふざけていました。

久しぶりの家族との時間をゆっくり過ごし、喪主の祖母の側にずっと付いていました。何度も崩れ落ちそうな小さな身体を支えました。

 

遺骨箱を持ち、霊柩車に乗る初めての体験もしました。祖父との最後のドライブと母はずっと摩りながら話しかけていました。

葬儀では祖母に気を張っていた為、車に乗りながら祖父との思い出を思い返していたら、涙が溢れてきました。

 

父と同じで口数が少なく、呂律が回らず周りは聞き取れない話も私はよく聞き取れて通訳をしたものです。

小さい頃、お相撲とアニメでテレビを取り合っていたのに、最近では一緒に相撲も見ていました。

 

ここ数年は、車の免許を返納したこともあり、祖父から希望があれば髪を切らせてもらって二人で過ごすことも多く、下手な私が切り終わるまでじっと座ってくれていました。

彼の話もして、引っ越し直前にも髪を切りました。それが最後でした。

体調が悪くなる前に父が祖父の髪を切ったと聞き安心しました。

 

そうしているうちに斎場について、本当に最期のお別れとなりました。そこでも祖母にずっと寄り添いました。こんな時の父はいつも気を張りっぱなし、三人兄弟の真ん中なのに長男のように動き回っていました。学生の頃から母の親族の集まりや冠婚葬祭に出ているだけあるなとこんな時に誇らしく思ってしまいました。

 

父の兄も弟も離婚しており、兄の方は一時的に、弟は現在祖父と祖母と暮らしていました。

私の両親だけ唯一離婚しておらず孫である私たちも一番近所で顔を合わせていたので、今回は親族は呼ばず10人いる従兄弟とも会うことはありませんでしたが、帰省して良かったと思いました。

その晩は祖母や父の兄弟と夕飯を食べて祖父の写真などを見ながら過ごしました。

 

次の日は帰る時間までを母の三姉妹の親戚との時間を過ごしました。小学生と高校生の従姉妹は学校まで休ませてしまいました。

一番長く過ごした高校生の従姉妹がとても喜んでくれて、嬉しかったです。

今回の帰省がなければ六月の従兄弟の結婚式だったので、色々と話もできて過ごしショッピングもできて良かったです。

 

今回の帰省はSNSに載せることなく、こちらにだけ報告させて頂きました。

最新の注意を払い移動や行動を心がけました。

先週の休みは時間が取れずやっと記事を書けました。今月もゆるりと更新します。